以下、案内板より。
由緒
天喜四年(一〇五六年)鎮守府将軍陸奥守源頼義が後冷泉天皇より
朝敵である安倍頼時とその子厨川次郎貞任・鳥海三郎宗任誅滅の詔をうけた。
その時、前九年の合戦に際し、熊野に朝敵誅滅の祈願をし、
その神霊により遂に康平(一〇六二年)九月十七日、これを滅することができた。
陸奥平定の後八幡太郎義家報恩感謝のため、
ここに熊野十二所大権現を勧請し社殿を建立して厚く奉記した。
その後、永和年中(一三七五~七九年)大破により再建、
寛政四年(一七九二年)三月十四日、山火事の際に記録を焼失、
このとき焼死した大蛇の骨が累々と残存したと伝えられている。
昭和九年(一九三四年)本殿を改築。
大きな地図で見る