手掛の松 / 地図と案内板
以下、案内板より。
手掛の松緑地
前九年の役の終盤をむかえた康平五年(一〇六二)のことである。
安倍貞任軍がこもる厨川柵(現在の安倍館と伝えられる)の対岸に陣をはった源義家が、柵をみあげて手を掛けた松が「手掛の松」といわれている。
また一説に、源氏方へ情報を通じた安倍氏方の女性が、ことが露見したため、
源氏方へにげようとして北上川にとびこみ、対岸にあがる際に手を掛けた木が「手掛の松」とも伝えられる。
真偽はともかく、古代北方の覇者安倍氏終焉にまつわる伝説のひとつである。
盛岡市 公園緑地課
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