以下、駐車場の案内板より。
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国指定史跡 鳥海柵跡
鳥海柵は、十一世紀に奥六郡(伊沢(胆沢)、江刺、和我(和賀)、斯波(紫波)、薭縫(稗貫)、岩手郡の六つの郡。現在の岩手県奥州市から盛岡市)を支配していた安倍氏一族が築いた十二柵の一つです。
主は安倍宗任(安倍氏当主頼良の三男)といわれます。
北上川と胆沢川に囲まれ、自然の沢による谷(開析谷)や段丘崖を巧みに利用し、人工の堀や柵列などの工作物で囲まれた中に大型の四面廂府建物、櫓状の建物など複数の建物に配置した防御性のある軍事的な拠点です。鎮守府胆沢城(朝廷の機関、奥州市水沢区)に近く、当主頼良が亡くなった地でもあることから、安倍氏にとって最重要拠点であったと考えられます。
安倍氏一族は勢力拡大により陸奥守との間で前九年合戦(1051~1062)が起こり、安倍氏一族は陸奥守兼鎮守府将軍源頼義が率いる国府軍と戦います。九年にわたり合戦は続き、康平五年(1062)に出羽地方の豪族清原氏が国府軍に加勢したことで、安倍氏は厨川柵(岩手県盛岡市と推定)で滅び、安倍宗任は捕らえられ九州へ流されました。この戦いは「陸奥話記」や「前九年合戦絵詞」などに書き記されています。
指定 平成二十五年十月十七日
管理者 金ケ崎町
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建物跡の穴???
堀は駐車場の敷地側から見た方が迫力がありました。